風邪を引いてもう10日になる。

熱は下がったが咳と痰が切れず、ここ3日は喘鳴も酷く、横になると咳が出て眠れない。最近、医療の進歩で喘息であることを忘れるぐらい喘鳴が出ていなかったので、苦しいやら、あぁ、昔は毎日こうだったなと懐かしいやら。

私はパンセクシャル(自己紹介にはバイと書いてあるがパンセクシャルの方が近い)で同性のカノジョと出会って30年になる。同棲は25年ぐらいだろうか。そして病人だ。病気は子供の頃からの喘息を筆頭に、関節リウマチ(膠原病)と解離性同一性障害を抱えている。あと胃が弱いとか子宮内膜症だとかはついでみたいなもん。そういうマイノリティ×マイノリティをWマイノリティと言うそうだ。あぁ、女性と貧乏なのも含めると4つぐらいあって、だから複合型マイノリティだと私は思っている。

世の中の仕組みはおかしなもので、例えば身体障害者手帳と精神障害者手帳が別れている、とか。私から言わせてもらうと身体障害者だから苦しさから精神を病み、精神障害者たから怪我をしたりして身体に障害を持つ。そして貧困へと転げ落ちる。マイノリティの坂道は一つではなく、落ちながら幾つものマイノリティ要素がくっ付いてきて雪だるまのように増える。

勿論自分のマイノリティな部分(例えば病気や精神疾患)に目を向けないことも出来るが、早死にしたり、自覚のない精神病患者として周囲に迷惑を及ぼす(もしかしたら薬で治療出来るかもしれないのに)。

私は昨日、百合嫁としてカノジョに2万円程医療費を貰い、検査コンボの病院へ行ってきた。関節リウマチの血液検査、診察、婦人科癌検診。9時から16時半までかかった。薬代合わせて27000円。途中で食べたお弁当や交通費含めてざっと3万円近い。会計時くらっとしたのは言うまでもない。3割負担でこうなのだから、将来国民健康保険の自己負担分が上がったら死ねる。というか今でも死ねる。

同性婚が認められて、私達二人の関係が社会的に認められたらかなりストレスが軽減しそうだ。自分的には完治とまでは行かなくても喘息も関節リウマチも精神病も寛解するのではないかと思ってる。

そのぐらいレズビアンカップルの社会から隠された嫁として生きるのは辛い。

辛いのを生き抜いてきた。私は生き抜いてきた。例え複合型マイノリティとして病気が色々と発症しても。

単純な話、カノジョが会社で単身者として扱われる。勝手に私の知らない所で大勢の人がカノジョに告白する。プロポーズする。だってカノジョは単身者たから。カノジョは断る。私がいるから。でも断られた人達は私という「カノジョの恋人」の存在を知らない。

流石に同窓会で告白まがいのことをされたと聞いたのには怒って「もう結婚指輪買った後じゃないと同窓会参加禁止」と言った。

私の存在はカノジョの同僚にとって「同性の同居人」であり、恋人でも妻でもない。

この隠された存在を30年生きてきた私は少しずつ壊れていって、今では立派な複合型マイノリティだ。

ふとしたことで自殺したくなることもある。でもカノジョを残しては死ねない。私の命はカノジョのためにある。実際、私の寿命はカノジョの稼ぎによって延ばされている。カノジョは社会的には隠され見えなくされている私との幸せで辛い人生を働いてボロボロになりながら支えてくれている。

喘鳴で苦しみながらベッドに横たわっていると不幸な気持ちと死への恐怖が押し寄せてくる。

この瞬間もカノジョは私を、私達を生かすために働いてくれている。だから私は死ぬわけにはいかないし、長生きしなければならない。カノジョが帰ってきて幸せな時間が訪れるのを待ちながら咳込んで苦しむ。ゴミ箱はティッシュで溢れかえる。

同性婚が認められたら私達は表へと出る。そしてヘテロの愛人関係のようにやはり同性婚をしないカップルも現れるだろう。それはそれぞれの生き方だ。だが同性婚が認められたら私達は『キングスマン ゴールデン・サークル』に出演したエルトン・ジョンのように幸せな人生を送りたい。

そんな夢を見る。

現実の私は喘鳴に苦しみながらベッドの上で咳や痰と格闘しているのだけれど。

夢ではない幸せを掴みたい。

苦労してきたカノジョと一緒に。