image

昨日行ったイベント 小説TRIPPER創刊20周年記念対談。阿部和重×佐々木敦×高橋源一郎の感想。

ふらりと立ち寄った新宿BOOK1に『小説TRIPPER 2015年夏号』が山積みになっていた。

「TRIPPERをご購入のお客様に対談チケットプレゼント!」というのを見て買ってみた。

実はこの三人の中で高橋源一郎しか知らなかった勉強不足な私。

高橋源一郎も読んだのはとうの昔。

というわけで高橋源一郎の本を数冊買って、『TRIPPER』(朝日新聞出版)を読んでみた。

阿部和重の短篇小説が載っていて、残酷だけど面白い。

文学雑誌に載せるならこれぐらいないとね。

高橋源一郎についてはツイッターでも言及したが、小説の未来を考えてしまって暗くなる。

そんな感じで予習していって、イベントに臨んだ。(佐々木は進行役だった)

阿部は『アメリカの夜』(講談社)で群像新人文学賞を受賞したそうだ。

1997年に阿部と高橋は『すばる』で対談している。

その年に高橋は『ゴーストバスターズ ー冒険小説』(講談社文芸文庫)を刊行している。

「ゴーストバスターズ」はプロット等をしっかり固めた小説で、書き進んでいくうちに、分かっている小説の続きを書いていることに疲れてきてしまったそうだ。

高橋「作品と向き合い過ぎないほうがいい。プロットをしっかり立てたら自由度が減ってしまった。小説は楽しみながらかかなければならない」

阿部は1997年に『インディヴィジュアル・プロジェクション』(新潮社)を刊行。

1998年に『’90年代J文学マップ』を河出書房新社が出し、J文学を仕掛ける。

高橋は1982年デビュー。

高橋「純文学というジャンルがマクロ的にどうなるのか見てみたかった。戦後文学とサブカルチャーの間に挟まれて、純文学は負けてしまう」

阿部「純文学はいつ読んでも読める。2000年に出た本が、1990年に出たといっても、2010年に出たといっても(この辺の年代はあやふや)通じる。だから『インディヴィジュアル・プロジェクション』では時代の単語をちりばめた。」

高橋「文学と小説は微妙に違う。小説は防御的になってはいけない。(小説?文学?)瞬間、瞬間ごとが勝負。小説を書きながら、世界が広がる」

阿部「2000年代で世界が変わった」

佐々木「出来の良いディフェンス小説が増えた」

高橋「小説を書きながら抵抗があるなら、やったほうがいい。2011年4月に論壇時評(後、『ぼくらの民主主義なんだぜ』として刊行)を連載開始。いきなり311。で、今、51回目。世界について言葉にする。文芸誌から世界が広がっていく。」

高橋「日本近代文学と9条関係の集まりに行くと、世代が重なっている(壮年世代)。どっちもディフェンシブ。日本近代文学では野間宏を読んだことがある人! で60人全員が手を挙げる。カルトや宗教やISみたく、膠着している」

高橋「文学も一種の民主主義」

高橋「小説を書くときのタイトルは一時的なもの、正しいもの、これしかないものがある」

高橋「『ぼくらの民主主義なんだぜ』論壇時評の語り手は私と俺と僕がある。それでいいと思った」

佐々木「小説家はどのようにふるまっていくのか」

阿部「言葉について考えていく。流通する言葉をずらしていく。人工知能が書く小説に勝てるのか」

 

質問タイム(一人だけだったのだけど、私が当たった)

藤間質問「文学部を減らしていくという文科省の発言があります。これについての意見をお聞かせください」

高橋「大学で教えているけど、文学部だけじゃなくて、あれは人文系がいらないということ。そして日本だけではなく、他国でもそういった流れがある。役に立たないから削減というなら、役に立つという事を言っていく。どうやって(文科省に)対抗していくか。大学では「グローバル化する」とか、「ゆるして」とか諦め気分が大学にある。文学は実学である。『実学ではない』といわれるのなら、そうではない言葉を作るしかない。文学が持っている力を示していくしかない」

阿部「プレゼンって大切。文学部を出ると営業部とかに回されるでしょ。だからみんなプレゼンが上手いと思うんだよ。文学部を無くせと言う人の目に、文学の言葉が使えるものだと示していく。言葉を一つひとつ変えていかなきゃならない。『戦争にまきこまれる』という言葉があるけど、世界中で戦争やテロが起きているこの時代に『戦争にまきこまれる』なんて使っちゃいけない。使えない言葉を使っているから、文学は使えないと言われる。文学部はもっと営業やプレゼンをしないと」

(この対談は『TRIPPER』次号に掲載されます)

メモ書きなので雑だが、こんな感じの対談だった。

阿部は元々映画畑の人で、本を出したらでっかいポスターを作ってくれるとか、積極的に営業してくれるとか思っていたそうだ。

しかし純文学の単行本は、そうでなかった。

そのことにショックを受け、『インディヴィジュアル・プロジェクション』を出す時、表紙を考えてプロデュースして本を世に送り出し、ヒットしたとか。

小説が面白くても、営業されないと埋もれるだけ。凄いなぁと思った。

また1990年代の純文学は荒野って感じだったが、2000年代に入ると直木賞とか芥川賞がプロデュースされ売り出され、若者が一攫千金を狙って賞に出すようになってきた。しかしそれは不況とリンクしているのではないかと、阿部は言っていた。

まぁ、私といえば、阿部と二歳しか変わらないのにぐだぐだと生活しているなぁと反省した。

もっと小説を書いていこうと励みになった。

レポ、おしまい。

アマゾンで購入→ ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書) IP/NN 阿部和重傑作集 (講談社文庫)