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【論文】三島由紀夫『卵』論 築山尚美

『卵』は奇妙な作品である。一見、それはいわゆる「三島」的作品ではないように見える。「純文学」の範疇に入らないのは勿論、「SF」というラベルが付いていたところで誰も不自然には思わないだろうし、子供の読み物と断じる向きもあるだろう。SF仕立てにしても童話風にしても、現在ではごくありふれた趣向となってしまった。そこに既視感やら退屈さやらがどことなく漂うにしても、やむを得ないことかもしれない。
しかしこれらの印象は、あくまでも現在からのものである。『卵』が発表された一九五三年は、日本SFを直接的に先導した同人誌『宇宙塵』の創刊(一九五七)に四年程先駆けている。後楽園球場に屋根がついて「BIG EGG」と称される(一九八八)ことも、大学がレジャーランド化して大学生の学力低下が社会問題となることも、『卵』発表時点においては全く予想し得ぬ事態であった。つまり『卵』という作品を前にした時の我々の既視感は、『卵』的世界を現に我々が生きていることに由来するものなのである。ついうっかりと的中し過ぎてしまった予言の、取り返しのつかない退屈さ。『卵』はそのような作品なのだが、ここで予言とやらの価値や意義を問題にしたい訳ではない。むしろ作品は絶対的に「現在」に属しており、『卵』の属する「現在」が、現に我々の生きる「現在」でもあると考えるべきなのだ。
では『卵』は「現在」をどのように意識しているのか。『卵』が言葉である以上、『卵』にとっての現在もまた言葉でしか有り得ない。本稿ではそのような言葉の領域を構成するものとして、特に童話と新聞に注目して、分析を試みたものである。また、本稿は作品を主語として問題を立てているため、便宜的に「『卵』の作者」という存在を仮定するが、これは「三島由紀夫」や「三島由紀夫という名で呼ばれる身体」とは、厳密に区分された存在である。

一 純文学

集中の「卵」は、讀者がすぐ察せられるやうに、ポオの「十三時」や「ペスト王」や「ボンボン」などのファルスの模作である。私はこの作品におそろしく自信があり、愛着も抱いてゐるのに、誰一人みとめてくれた人がない。革命でも起つたら、これを私の傑作とみとめてくれる讀者があらはれるかもしれないが、もちろん私はこれを、そんなさもしい魂膽で書いたのではない。(あとがき 「ラディゲの死」一九六五・七)

『卵』は一九五三年六月『増刊 群像』に発表された短編小説である。この増刊は特に「小説特集號」と銘打たれていて、巻頭に「グラビヤ 誌上原稿展」、巻末に「合評 現代作家論」を配しており、特定のジャンルに対する極めて強い囲い込み意識を見て取ることができる。「本誌が増刊に於いても、極力中間小説という曖昧な形態を避けようとつとめたのは、純粋な文學こそ、もつとも人を動かし得ることを信じているからであります」という編集後記の言に拠るなら、「純粋な文學」がその対象ということになるだろう。そしてこの「純粋な文學」は、いわゆる「純文学」とほぼ同義であると考えられる。「中間小説」を「曖昧な形態」と見做すのは、大衆文学/中間小説/純文学という分割が前提されているからだ。『卵』はこの号の巻頭小説である。ということは少なくとも作者と編集子において、それが「純文学」に区分されたらしいことを示している。
初出時『卵』がどのように読まれたかを示す証言は、管見によれば存在しない。実のところ初出時だけでなく、『卵』についての言及はごく限られたもので、作品名を題に付した先行論文は、長沢隆子「ポーと三島由紀夫-三島作品『卵』を中心に-」のみなのだ。このような状況に於いて看過し得ぬ量の言説を残しているのが、「三島由紀夫」である。一九五五年単行本収録時の「あとがき」は先に示したが、一九六八年新潮文庫の自選短編集に『卵』を収録する際にも、他作品に比して多めの「解説」を記している。
これらの中でも最も大きな影響力を発揮したのは、「ポオの『十三時』……などのファルスの模作」という部分である。長沢論文も、一般には『鐘楼の悪魔』と邦訳される『十三時』と『卵』の比較だし、『三島由紀夫事典』でも「卵」と「ポー」の項は相互に連関する。ポーという名自体がどのようなジャンル意識を召喚するかについては、別に考察されねばならないが、「三島由紀夫」とポーについては「知性の断末魔」と題する一文が参考になるだろう。ここで「三島」は、ポオの作品で好きなのは二種類であるとして、まず『アッシャー家の崩壊』をはじめとする「屍臭漂ふ優雅な物語群」をあげ、「もう一つは、『ボンボン』『ペスト王』『鐘楼の悪魔』などのファルスである。後者のファルスを、坂口安吾氏が溺愛してゐたときき、さもありなんと思ったし、私自身も『卵』といふ短編小説で、ポオ風なファルスを企てたことがある」と述べる。ファルスと坂口安吾という組合せに目を奪われがちだが、ここでは「……を、坂口安吾氏が溺愛……私自身も……を企てた」という表現によって形成される関係性に注目しよう。ポーのファルスという共通の対象について、趣味を共有し合う坂口安吾氏と「私」。「模す」という行為が「溺愛」と同義となるためには、教養認識価値観を高度に共有し、なおかつ相互承認可能な範囲の小集団が存在しなければならない。別な言い方をすればそのような小集団の存在を前提として初めて、「模す」ことは剽窃でも盗作でもなく、趣味の洗練になり得る。「三島由紀夫」は新潮文庫解説にも「ポオのファルスを模したこの珍品」という表現を繰り返し用いており、一九五〇年代後半に始まる高度経済成長も大衆消費社会の出現も、この件に関して言えば彼の芸術概念を変化させるには至らなかったようである。しかしこの、「三島由紀夫」が夢想したらしい教養認識価値観等を共有する小集団概念を、『卵』という作品は内包しているだろうか。

偸吉に、邪太郎に、妄介に、殺雄に、飲五郎と來たら、飛切朗らかな學生だ。五人とものっぽで、大男で、ひどいガラガラ聲で、大へんな怠け者で、學校へなんか出たことがない。五人とも端艇部の部員だが、合宿の時の生活をふだんにまで延長してゐる。二十疊敷の部屋のある素人下宿を探し出し、その一間に出し合ひで下宿をしてゐるのである。この座敷は死んだ主人が、象皮病にかかつたので、だんだん大きくなる體にふつうの部屋が合はなくなるのを心配して、建増ししたのだといふ話だ。五人は競争で朝寝坊をし、規律正しく萬年床を守つてゐた。

「この書き出しの、殊に最初の一行の、五人の人物のふざけた名前を見ただけでも、読者はただちに、この小説がいわば、まともな、なみの小説ではなくて、何やら眉に唾して読んだ方がよさそうな代物だ、ということがわかる仕組みになっている」と長沢が指摘するように、『卵』の文章は〈この小説はまともな小説ではない〉と判断する教養ある読者の存在を要請する。しかもそれは、「規律正しく萬年床を守つてゐた」に表れる反語的修辞が、容易に見抜ける水準でなければならない。というのは仏教でいう五悪を名に冠したこの主人公たちは、実のところ一名を除いて、その名の「悪」からはほど遠い人物として描かれているからである。
「友人のものを失敬する癖」がある偸吉が、友達の制服を着て出てしまったのは「まちがへ」だし、その「紙入れに入つてゐた金がふしぎに多かつた」のを発見すると、即座に交番へ届けてしまう。「これはと思ふ女を逃がしたことがない」邪太郎のエピソードとして紹介されるのは、女を逃した話に他ならない。殺雄にしても、校長の禿とつんぼを平癒させて褒状をもらっているくらいだ。盗まない偸吉、邪淫をしない邪太郎、殺さない殺雄。しかし『卵』におけるこの反語的修辞を、最も集約するのは「嘘ばつかりついて喜んでゐる無邪気な若者」妄介である。「お日様は東からのぼり、お月様も東からのぼる」や「僕は今日、年とったおぢいさんを見たよ」という妄介の「嘘」は、作中で「今では誰も信じる友達がゐないが、皆一應真に受けたやうな顔をしてにやにやしながら廳いてゐる」と「嘘」として定位されることにより、認識を共有する小集団を二重に形成するだろう。一つは妄介の言を「嘘」と認識する作中の「友達」、いま一つは妄介の言を事実と認識し物語言説の反語性を共有する読者集団である。作中の「友達」は自分たちの認識を自明のものとしており、それに否定的に関わることによって読者集団の認識も強く一元化され、安定した解釈共同体を形成することとなる。そもそも反語という修辞は、強く安定した解釈共同体無しには有り得ない。故に『卵』が反語的作品であるとするなら、確かにそれは「三島由紀夫」的作品だと言えるだろう。
しかし同時に、妄介は安定した解釈共同体を動揺させてしまう張本人でもある。その一つが『プルターク英雄伝』をめぐる挿話だ。妄介は「プルターク英雄傳を讀んだら、こんな面白い話があつた」と言って、アントニイがクレオパトラの前で塩漬けの魚を釣り上げたという話をする。しかし「學識ある四人の友たちは、英雄傳を隅から隅まで引つくり返しても、こんな話の出て來ないことを知つてゐた」ので、まるで相手にしない、というものである。妄介の他の「嘘」同様、この挿話が反語的機能を果たすためには、読者集団にとって『英雄伝』が必須の教養でなければならない。だがこの教養、殊に原文あるいは訳文を直接に読むという類の教養は、実はそれほど自明なものではない。岩波文庫『プルターク英雄伝(十二)』の「譯者後語」で、訳者・河野與一は「プルタークの『英雄伝』といふものは名前が行き渡つてゐる割に、案外讀まれてゐない本の一つであらう。一體何語で書いてあるのです、と訊かれたことも度々ある。……傳記が五十篇もあるのだから翻訳にしても通讀した人は先づあるまいと思つてゐた」と記している。また木村毅は「『虞美人草』の思想的背景」で藤尾が読んでいる本を考証、「多くの批評家は、この本をシェークスピアの『アントニイとクレオパトラ』だと思っている」が、実はプルタークの『英雄伝』であることを指摘している。これも『英雄伝』が、「名前が行き渡つてゐる割に、案外讀まれてゐない本」であることの証左になるだろう。つまり解釈共同体として一元的に安定していた読者集団は、ここで二分されてしまうのだ。即ち「隅から隅まで引つくり返して」読む「學識のある」読者と、名前は知っているものの案外読んでいない読者に。
では『卵』は、「三島由紀夫」夢想するところの「學識のある」小集団以外には、無意味な作品なのだろうか。反語を共有しなければ、意味をなさない作品なのか。ここで興味深いのが飲五郎という登場人物だ。というのは五人の中で彼についての言説のみが、反語を構成しないからである。「稀代の呑助」と称される飲五郎は、他の四人のように呑まない呑助なのではなく、「幼少の砌り、生家の造り酒屋の酒樽のなかへ落つこちて、危ふく溺れかかつたとき、……難なく助け出すことができたのは、この子供が溺れるより先に呑むはうを選んだからであつた」と読者集団にとっても「稀代の呑助」である。長沢論文でもこの部分を引用し、「とりわけ愉快」な人物として飲五郎をあげるが、これは長沢が、『卵』の修辞を「五人のボート部員の野放図さを、これまた野放図に誇張して書く」と見ることと関連するだろう。物語のクライマックスにおいても、死刑を宣告された四人の友たちが「不平な顔つきで口を尖らせ」るという常識的な反応を示す中、「卵酒の刑」を「歓迎する風を見せてゐた」飲五郎の、意味的な同一性の強さは際立っている。
にもかかわらず、物語のクライマックスは妄介によってもたらされる。しかしこの妄介は、既に反語の人ではなかった。反語と誇張、この修辞的な葛藤には何の解決もなく、作品には唐突に別の要素が呼び込まれる。

二 童話

妄介は靈感を得て、いつも嘘をつくときの嬉しさうな口調で友の耳に囁いた。
「おい、見ろよ! この建物はたしかにフライパンだぜ」
四人はさう云はれて、漠然と望樓のはうを見た。しかしフライパンの中から見ると、フライパンは、フライパンには見えにくいものである。また妄介の奴め、嘘をついて喜んでやがる、と四人は思つた。
……妄介は、何をぐづぐづしてるんだ、やるんだ、と力のこもつた低聲で叫んだ。あとの四人も、已むなく妄介の嘘を信用することにして、手錠のまま、一せいに望樓のはうへ逃げ出した。

それにしても不可解なクライマックスだ。一見、それまで「嘘」とされていたものが「本當」になる逆説的なクライマックス、のように見えるのだが、事態は奇妙に捩れている。妄介の態度「いつも嘘をつくときの嬉しさうな口調」も、それに対する友たちの解釈「また妄介の奴め、嘘をついて喜んでやがる」も、『卵』前半の人物紹介部分と同様の語で描写される。異なっているのは語り手の位相だ。前半、「友たち」に荷担し妄介(及び読者)に対立していた語り手は、「フライパンの中から見ると、フライパンは、フライパンには見えにくいものである」によって、唐突に妄介(及び読者)に身を寄せているのだ。語り手のこの不節操な行為によって、解釈の水準はひどく動揺し、反語的修辞はここで完全に破綻する。反語や逆説に不可欠な真偽の判定は、「已むなく……信用することにして」という程度にしか意味を持たなくなる。ここでクライマックスを起動させるのは、言葉でも真偽の判定でもない。「やるんだ、と力のこもつた低聲で」促される行動であり、それによって五人が「柄の先端に一度きにぶらさが」ってフライパンを「見事に引つくりかへ」すという暴力なのだ。
これは『卵』のモデルとされる『鐘楼の悪魔』とは大きな違いである。悪魔が町の秩序を破壊するためには、十二度鳴る筈の大時計を、たった一度、余計に鳴らすだけでよかった。大時計の鐘の音は秩序を保つための指標的記号であり、言わば町はこの記号の過剰によって自壊したのである。このようにあくまでも記号領域内で脱構築的戦略を採る『鐘楼の悪魔』に対し、『卵』は行動や暴力を不意に導入して記号領域を一気に崩壊させてしまうのだ。後者の原型的な作品として、私たちは『ふしぎの国のアリス』『鏡の国のアリス』を想起することができるが、実はこの両アリス物語と『卵』は、物語の展開とモチーフの細部において多くの類似が指摘できる。
『卵』はアステリスクによってごく形式的に前半と後半に二分される。前半を主人公である五人のボート部員たちの紹介であると見做すと、事件の始動する後半(と言っても三分の二を占める)こそが作品の主要部分をなしている。先輩宅からの帰途、放歌高吟されるボオト部の応援歌「禍津日のもと/ボオトは生まれぬ。……」は文字通り物語の誕生を告げていた。「見知らぬ家並が斜面にひしめいてゐる暗い湿った小路」を通り抜け、いつしか卵の世界にさ迷いこんだボート部員たちは、卵の警官たちによって逮捕され、「阿呆陀羅經」を思わせる不条理な裁判にかけられてしまう。死刑の判決を受けた五人は、裁判所の建物実はフライパンをひっくり返して卵たちを一気に割り、現実(?)への帰還を果たす……これはそのまま、物語の誕生した「黄金の午後」を記念する献詩に始まり、兎の穴を通って不思議の国を彷徨、証人として裁判に呼ばれたのに死刑を宣告され、女王や王や兵士らをはたき落とすことによって彼等を「ただのトランプ」に戻し、現実に帰還した『ふしぎの国のアリス』のダイジェスト版と言えるだろう。
そもそもボート部員と卵という唐突な結び付き自体、『鏡の国』の、ボートからハンプティ・ダンプティへの対話に至る夢幻的な一場によって、先導されたものではなかったか。象皮病にかかった下宿の主人が巨大化していくという挿話や、裁判所が実はフライパンだったという身体縮小のイメージに、後に「不思議の国のアリス症候群」と名付けられることになる身体感覚の失調を見出だすことも容易である。
明治三二年の移入以来、アリス物語の翻訳・再話・絵本出版の企画は枚挙にいとまないが、『卵』発表の前年である一九五二年四月にも、あかね書房世界絵文庫の一冊として『ふしぎの国のアリス』が上梓されている(以下、絵文庫版『ふしぎの国』と略す)。表紙にも中表紙にも、奥付の著者(訳者ではない)にも「三島由紀夫」と記されたこの絵本には、ルイス・キャロルの名はただ後書きに上げられるのみである。要するに「三島由紀夫」は、『卵』の作者である前に『ふしぎの国のアリス』の「著者」だったのだ。勿論これはあまりにも表層的な言い方だが、にもかかわらず奇妙な説得力を持ってしまうことも事実だろう。なるほど、『ふしぎの国』執筆後に『卵』を書いたのなら、後者が前者に似てしまうのも当然だろうという体の。しかし事態はそれほど単純ではない。
何故ならば『定本 三島由紀夫書誌』によると、この絵文庫版『ふしぎの国』は、「『三島由紀夫』名義で刊行された単行本で、三島由紀夫の著訳書でないもの」として、「廃棄書目録」に掲げられているものだからだ。そして確かに「三島由紀夫の名で呼ばれる身体」は前年十二月から最初の世界旅行に出ており、帰国したのが絵文庫版『ふしぎの国』刊行(四月三〇日)の直後(五月一〇日)である以上、刊行に直接的には関わっていないと見做す方が妥当である。再度『定本 三島由紀夫書誌』によると、三島由紀夫所有のアリス物語は二冊、岩崎民平訳角川文庫版(一九六八年重版)と多田幸蔵訳註旺文社英文学習ライブラリー版(一九六七年重版)の『ふしぎの国のアリス』である。ここから「三島由紀夫の名で呼ばれる身体」について、以下のことが推測可能である。『卵』執筆時の「身体」は、アリス物語を読んでいなかった。所有のアリス二冊はどちらも重版、しかも出版年度から考えて、六十年後半以降のある時期、前後して購入したものと思われる。その時、岩崎民平訳だけでなく英文学習ライブラリー版を購入したということは、原文および註が必要だったからだろう。原文だけなら洋書を読めばいいからだ。それはこの時の「身体」がアリス物語への接近に際して、言語的アプローチが不可欠であると考えたことを意味する。そしてその考えは全く正しい。音声的な言語遊戯はアリス物語に不可欠の要素だからだ。逆に言えば言語的な接近を試みた六十年代後半以降こそが、「身体」とアリスの出会いの時なのである。
一九二〇年楠山正雄による完訳が出ていたものの、日本におけるアリス物語は圧倒的に「童話」で、「小さいみなさま」にもわかりやすいようにという配慮から、翻案・ダイジェスト版が多く出された。その過程で物語は否応なく変質する。この絵文庫版『ふしぎの国』も、全一二章のうち四章分を大胆に省略、また目次前に登場人物紹介とおぼしきページがあるのだが、「トランプの女王さま」「トランプの王さま」「アリス」「白うさぎ」に並んで、本文には全く登場しない「トランプの王子さま」の横顔が描かれている。書物からしてこのような状況なのだが、「童話」として受容するということは、必ずしも書物の読者であることを意味しない。人づてに聞くこともあるだろう、他媒体による表現に触れることもあるだろう。著名な「童話」というのは、まさしく「名前が行き渡つてゐる割に、案外讀まれてゐない本」なのであり、人々は物語内容を知ってはいても、書物を「隅から隅まで引つくり返して」読んだりはしないものなのだ。
そして『卵』の作者もまた、アリス物語を読んでいない。勿論、知ってはいる。そうでなければあれだけの展開・モチーフの類似は有り得なかっただろう。しかし原文を「隅から隅まで引つくり返して」という水準では読んでいないのだ。このことは『卵』において、音声的な言語遊戯がほとんど存在しない理由を説明するだろう。『卵』のノンセンスは妄介における反語を典型とするように、強く安定した解釈共同体の存在を前提とした、極めて意味的なものなのだ。『卵』中唯一の歌であるボオト部応援歌のばかばかしさは、無意味な内容と文語詩という形式の葛藤から生じる滑稽さであって、『不思議の国』のように既成の歌を音的に変換して意味を脱線させた替え歌ではないし、『鏡の国』「ジャバウォックの歌」のようなノンセンス詩でもない。『鏡の国』の卵人間ハンプティ・ダンプティはカバン語を駆使する言語的天才だが、『卵』の裁判所で検事と弁護士が展開する、人間から卵を蘇生させることが可能か云々という議論の滑稽は、蛋白質の熱変成は不可逆的であるという一般常識を前提としたものである。象皮病で体が大きくなるとか、卵たちの声が黄色いというのも、「象」…「大きい」、「黄身」…「黄色い」という意味的連想によるもので、音の変調が意味的逸脱をもたらす類の言語遊戯には極めて乏しいのだ。
更に決定的なのは、アリス物語からのモチーフと思われるものが、童話として翻訳された日本語から発想されている点である。例えば身体的個別性に乏しい五人の主人公中、唯一「いつも眠たさうな顔をしてゐて」と描写される偸吉だが、これは名の「チュウ」から『不思議の国』に登場する「ねむりねずみ」が連想されたものと考えられる。しかしこの「ねむりねずみ」の原語「Dormouse」は「やまね」の意で、「ねむりねずみ」は本邦訳者たちによる苦心の造語なのだ。原語「Dormouse」は「チュウ」と鳴くような存在ではないし、そもそもねずみが「チュウ」という音で鳴くのは日本語圏においてでしか有り得ない。また、『不思議の国』でハートのジャックが盗んだとされる「Tart」も、日本では従来「おまんじゅう」「栗饅頭」と訳されてきたもので、故に偸吉も栗饅頭を盗んでいる。
勿論『卵』におけるアリス物語の読み換えは、「童話」の範疇に収まるものばかりではない。主人公五人に対する同性愛的賛美や、卵世界に至る坂道に配されたマッサージ師や産婦人科の廣告板には、アリス物語の性的な深層を顕在化させようとする意思が、明瞭に見て取れる。しかしこれをもって独創的読み換えと見做すことは難しい。アリスは、日本においてこそ概ね「童話」だったものの、世界的には今世紀初頭、既に「シュールレアリスト達の女王」として君臨していた。渡辺直己を待つまでもなく、アリス物語とその作者についての精神分析的解釈は一九五〇年代アメリカを席巻していたし、六〇年代になるとそのノンセンスの構造が注目を集め、アリスはヴィトケンシュタインとともに言語・論理・哲学という領域を示す名となった。一九六八年新潮文庫版解説に、「私の狙いは諷刺を越えたノンセンス」「純粋なばからしさ」にあると記した「三島由紀夫」は、このような動向をむしろ追いかけている。
「三島由紀夫」の芸術概念は、教養認識価値観等を共有する小集団の存在を必要とするものだった。その中では作者も読者も、ある特定の作家・作品を「隅から隅まで引つくり返して」読んでおり、その範囲で模倣は芸術となる。しかし『卵』という作品は、アリス物語という原型の影響を強く受けながら、その原型を「溺愛」の対象として明示し小集団を形成しようという意思を持たないし、そもそも自らがアリス物語を読んでいない。これは「三島由紀夫」のサロン的芸術観に背くというだけでなく、先行作品との対峙という文学研究の根底を成す概念すらも、殆ど無意味なものと化してしまう事態である。そもそも〈読まない〉のであれば、先行〈作品〉など何処にあり得るのだろうか。

三 新聞 1

僕の目はかなりの近眼だが、旅行者の心の目には、遠視の傾向があるらしい。北米から南米へ、南米からヨーロッパへ、五ケ月の旅をつづけて歸つて來てみると、各國の生活の現實に、どれだけ觸れて來たかと怪しまれる。ギリシャのやうな國では、僕は故意にこの遠視眼を利用した。見たのは古代ギリシャだけであつた。……
かういふ時間の上での遠視は、距離の上でも同じやうに作用して、外國にゐるときほど、現實の日本が身近に感じられたことはなかつた。歸國の際、ローマの飛行場で、一米人から、ヨーロッパの新聞のトップ記事に扱はれた、例のメーデー事件の話をきいたときは、わが家の揉め事をきかされてゐるやうな氣持が切實にした。(三島由紀夫「遠視眼の旅人」 一九五二・六・八『週刊朝日』)

『卵』初出から十五年後、「三島由紀夫」は新潮文庫版解説に「学生運動を裁く権力の諷刺と読まれることは自由であるが、私の狙いは諷刺を越えたノンセンスにあって、私の筆はめったにこういう『純粋なばからしさ』の高みにまで達することがない」という一節を記した。「ノンセンス」という語が登場した背景については既に論じたが、それにしても不可解としか言いようの無い断り書きである。というのは管見によれば、『卵』を「諷刺」と読む論者など皆無だからだ。では何故「学生運動を裁く権力の諷刺と読まれることは自由」の一節が付されるのか。「三島由紀夫」の反語的修辞に従うなら、ここは素直に「諷刺」として読んでみるべきなのだろうか。実は長沢論文も「昭和二十年八月十五日を境いとして、恰もVondervotteimittisの大時計的存在であったものの権威と、それを頂点とする秩序が一挙に壊れ去り、百鬼夜行の如き混乱状態に陥った日本国への、若い三島の軽やかな諷刺のまなざし」を指摘している。しかしこの解釈では敗戦直後の日本、あるいは「日本の官僚社会」への諷刺ではあっても、「学生運動を裁く権力」への諷刺にはなり得ないだろう。では「三島由紀夫」が想定する「学生運動」とは何か。

「……被告共は、卵の神聖を冒涜し、卵に對する破壊的行動を恣まにし、これを食用に供するのみか、進んで毎朝一せいに卵を割ることによつて、その音響を以て、卵を食用に供することの普及宣傳に努力したのであります。卵が食用に供せられて以來、この汚辱の歴史は永いが、かくの如き露骨尖鋭なる表現を以て卵が呑まれたことは、嘗て見ざるこころであります。……」

食うことそれ自体はさほど問題ではない。殺雄という存在があるものの、殺すことは言及されもしない。問題にされるのは、ひたすら「音響」なのだ。音響、即ち騒がしさを名に冠した罪状として、私たちは「騒擾罪」を想起することができる。勿論これは騒音を対象にしたものなどではなく、「多人数が集合して、暴行・脅迫により一地方の平穏を害する」刑法上の罪である。『卵』初出の一九五三年以前、騒擾罪が適用されたのは平事件・メーデー事件・吹田事件・大須事件の四件だが、ここでは一九五二年五月一日、一般に血のメーデーと呼ばれる事件に注目したい。四件のうち「三島由紀夫」の直接的言及が見られるのは、メーデー事件のみ(前掲「遠視眼の旅人」)だからである。
一九五〇年に始まる朝鮮戦争を機にGHQ(連合軍総指令部)のレッド・パージは激化、対象は日本共産党員だけでなく、レッド・パージ反対闘争を支援協力した者にも及んだ。メーデー事件の場合も、事件の最中である五月一日午後の記者会見で保利茂官房長官が、「今回の暴動は明らかに共産党の軍事行動」という政府見解を表明、新聞各社もそれに追従する形となった。朝日新聞は五月二日付記事の見出しの一つに「“共産主義者の策動”」を採用、「遺憾極まる暴力行為」と題する社説で、メーデーは「一部の過激分子の策動によって、暴動化するに至った」と述べ、「このデモ隊(註 皇居前広場に入った人々)が、日雇労働者、都学連に旧朝連系をまじえる一群であることは、それがメーデー参加の主力組合ではなく、これとは別個の急進分子であることを物語って十分なものがある」としている。「共産主義者」だけではなく、日雇労働者・学生・朝鮮人が「急進分子」として、排除の対象となっている。
ここで特に朝日新聞を取り上げるのは、この時の「三島由紀夫」に深い関係を持つからである。一九五一年一二月二五日から翌年五月一〇日に渡る「三島由紀夫」初の海外旅行は、朝日新聞特別通信員の資格によって行われたものだった。旅中でも「三島由紀夫」は度々朝日新聞に寄稿、帰国直前の五月四日付四面には「パリの芝居見物」と題する一文を寄せている。この同じ日の六面には、「情熱だけの行動は危い 学生運動について、三学長座談会」が掲載されていた。「メーデー騒乱事件に多数の学生が参加しているなど、最近の学生運動の尖鋭化に対して、社会の批判は厳しいようだ」という新聞社側のリードに続いて、東大総長矢内原忠雄、大阪市大総長恒藤恭、京大学長服部峻治郎が鼎談している。また五月一〇日版では早大事件を機に「警官と学生の争い 果たして宿命か」が掲載され、学生対権力という構図が構成されていく。
メーデー事件と学生の動向を結び付けたものとして、他にも『改造』一九五二年六月号「青年よ、武器を執るな 学生運動と青年の動向」座談会や、『世界』七月号「五・一事件と學生運動」座談会等があげられる。しかしこの文脈は長続きしなかった。そもそもメーデー事件をめぐる報道の混乱は甚だしく、事件直後から「たゞ一つの事件を追いながらかくも見事な食い違いと混乱をみせているのは一体どう考えたらよいのであろうか。……デモ隊側と警官側と何れが最初に暴力的な突撃をしたのだろう」(『圖書新聞』一九五二・五・一九「メーデー事件 各週刊誌はどうみたか」)という疑念が提示された程だった。梅崎春生の目撃談は、事件の本質が当時喧伝された「共産主義者の策動」や「警官と学生の争い」ではなく、警察の暴力にあったことを証言している。翌五三年一月「全国弾圧関係者会議」を機に、メーデー事件関係者は他の騒擾事件や保安弾圧事件裁判運動との連携を深め、事件はその関連において言及されていくようになった。勿論これは事件の本質を「権力による弾圧」「つくられた騒擾罪」と見做す歴史認識の形成と相関関係にある。
『卵』初出は事件のちょうど一年後になる訳だが、その頃には朝日新聞も、「七被告の保釈に抗告 メーデー事件」という記事に「同事件では公判開始当時約百四十名の被告が東京拘置所にコウリュウされていたがその後地裁の決定でつぎつぎに保釈され、二十五日現在わずか一名をのぞいて全員保釈されている」(一九五三・四・二五)と、無差別逮捕への非難と見える注記を加えており、事件の焦点は被告二六一名という大規模裁判に移ってしまっていた。つまり騒擾事件としてのメーデー事件が、学生対権力という構図で語られたのはごく限られた時期であり、しかもそれは一年後には事件の本質をめぐる文脈から決定的にズレてしまっていたのだ。
これでは諷刺の対象である「学生運動」がメーデー事件であることに、誰も注意を払わないのはやむをえない。「学生運動」と「騒擾罪」の組み合わせから、「三島由紀夫」が事件を知っていたことは明らかだ。と言って『卵』の作者がメーデー事件についての記述を、継続的に「隅から隅まで引つくり返して」読んでいる訳ではないということもまた明らかである。要するに『卵』の作者は、事件についての記述がメディアを席巻している間はそれを読むものの、事件それ自体への関心を持続させたりはしない、ごく現代的な読者なのである。このような現代性は、おそらく「三島由紀夫」の意図するところではなかったろう。しかしこの種の現代性こそが、『卵』を予言的=現在的な作品にするのである。おそらくはどのような文脈においても、「学生運動」と「騒擾罪」が決定的に結び付く新宿事件の発生は、「三島」が「学生運動を裁く権力の諷刺」云々を記した、わずか一カ月後のことである。

四 新聞 2

昇り坂が盡きると、崖の上に壮麗な建物が現はれた。先輩の家を訪ねたことは一再ではないのに、このへんにこんな建物があるのを五人とも知らなかつた。建物は野球場のやうな形をした白堊の新らしい圓形の建築で、野球場とちがふところは天蓋の丸屋根がこれを覆うてゐた。建築技師がこの圓満な形に反抗を企てたくなつたものか、一方に望樓のやうな角型の部分が地上からほぼ四十五度の角度で、支柱もなしに長く天空へむかつて延びてゐた。

知っている、だが読んでいない。あるいはこれは「三島由紀夫」にとって不本意な事態なのかもしれない。しかし『卵』の作者は、むしろこれに積極的に荷担して、「知っている」どころか「見ている」だけの断片を並べたてていく。そしてその過激な表層性により、『卵』は「三島由紀夫」にとっても予想外の諷刺性を獲得しているのだ。
主人公たち「五人」の、ボート部という設定について再度考察してみよう。「その盛況をやや野球にゆずったとはいえ、ボートは依然として、学生スポーツの花であり、これは職業チームに圧倒される心配がないのがよい」。一九五〇年、学生スポーツの状況として、木村毅はこのように述べている。一九一九年にエイトの全国大会が行なわれた時には有志団体の参加もあったようだが、ボート競技の中心は大学であり、概ね大学対抗戦の花形競技として発展してきた。備品が高価な上、身体的にも行動的にも同質性同調性の高い選手を揃えた方が有利という競技上の特質が、大学スポーツの中心となるに適していたものと思われる。そのために長期休暇中の合宿は勿論のこと、週末合宿と称して週末にも泊り込みの練習が行なわれた。「五人とものつぽで、大男で、ひどいガラガラ聲で、大へんな怠け者で、學校へなんか出たことがない。五人とも端艇部の部員だが、合宿の時の生活をふだんにまで延長してゐる」という『卵』の主人公たちの設定は、単なるバンカラではなく、このようなボート部的生活スタイルを踏まえたものと考えられる。
では何故「五人」なのか。ボート競技の花と言えばやはりエイトで、全日本選手権レガッタもエイトを中心に行なわれていた。この「五人」はエイト九人(舵手含む)中の五人なのだろうか。あるいは控えの選手のうちの、任意の五人なのか。それにしても何故わざわざ「五」という数字が選ばれたのだろうか。日本では一九二五年に舵手付きフォアが競技種目として採用された。これは舵手も含めると五人で乗艇するものだから、こちらの方が計算が合うように見える。しかし実はこのフォアにしろエイトにしろ、体重が単なる負荷となってしまう舵手は小柄な人物が務めるのが一般的なのだ。「朝日新聞」(一九五二・五・六)によると、一九五二年舵手付きフォアのオリンピック代表となった慶応クルー五人も、舵手のみ身長一・五六メートル体重四七キロのところ、他の四人は「平均五尺八寸七分、十八貫五百(およそ六九・四キロ)というわが国のフォアとしては最も大形のクルー」と紹介されている。勿論この平均に、舵手は加わっていない。『卵』五人の身長は不明だが、体重は平均三十貫(およそ一一二・五キロ)と関取並みで、戦後青少年の体位の向上を考えても、同時代的にはリアリティに欠けた数字だったろう。とはいえ数字のリアリティはこの際問題ではない、この数字に五人全員加わっていることが問題なのだ。
ここで再び「朝日新聞」を検討してみよう。慶大クルーの身長体重は記事中に詳述されるもので、最も目を引くのはやはり、「オリンピック代表続々決る ボート 慶大の五選手」という見出しであり、試漕会の写真である。こちら向きの四人に対して、一際小柄な舵手が背を向けている写真だが、横長にカットされているため選手の上半身のみが強調され、あるいは五人の体格差を見極めるのは難しいのかもしれない。何より「五選手」という言葉に目を奪われたと思しき『卵』の作者のような人物にとっては、この写真など「五」という記号の意味を確認する程度のものだったのではないだろうか。この記事には「同クルーは昨秋の全日本選手権レガッタに優勝した慶大エイトの中から五名を選抜し」という部分があり、仮にボートという競技について予備知識が無かったとしても、記事を「隅から隅まで引つくり返して」読むような読者であれば、「エイト」が本邦において中心的競技であることは判断できるし、五選手の身長体重から舵手という立場の特異性が見て取れる筈である。要するに『卵』の作者は、写真も見なければ記事も読まない、見出しだけを追うタイプの、極めて現代的な読者だった訳である。
ちなみにこの「慶大五選手」は五月六日版に掲載されており、五月四日版に「パリの芝居見物」と「学生運動について、三学長座談会」があるのは先述した通りだが、あいだの五月五日版にも興味深い記事がある。「買物帳」というごく小さいコーナーが卵を取り上げているのだ。「卵 この一カ月、十円サツ一枚で、一ころ十三-四円の卵がいくらでも買える。ざっと三割の値下りだが、去年の同期と比べるとさらに一割方安い。鶏の羽数が二割方ふえた関係とアメリカさんの特需がバッタリ減った関係……「一個10円」の安値でも、百匁単位で買えばもっと安くなる、粒買いは御損。」
このような符合は「三島由紀夫」及び「その名で呼ばれる身体」にとって、いかなる意味を持つのか。「身体」は三カ月余に渡って国内に不在だった。帰国直前にメーデー事件が発生、事件についての言説が渦巻く日本に帰ってきたために、事件体験の直接性が無いことは言うまでもないが、事件についての言説を共時的に消費するというマス・メディア的な快楽にも参加し損ってしまった。「外國にゐるときほど、現實の日本が身近に感じられたことはなかつた」という「三島由紀夫」の言葉は、その「身体」が、ある時期の「現實の日本」を絶対的に体験し損なっていることを前提として、考慮されなければならない。この体験不在を埋めるためのものとして「朝日新聞」の言説が選択されたのは、「身体」が外遊する間も「三島由紀夫」は、「朝日新聞」の日本(語)中に存在し続けたからだろうか。「パリの芝居見物」の筆者とメーデー事件の学生たちは、同じ紙面に載せられるということによって、時代を共有しあっていたのだ。それが、やはり同じように時代を共有した卵やら慶大五選手やらを召喚した訳である。先程ボートから卵へという展開を『鏡の国のアリス』のそれになぞらえたが、新聞紙上では卵からボートへという順序だったことになる。また、前述のように『卵』において抜差しならぬ影響を与えている『ふしぎの国のアリス』を、「三島由紀夫」が絵文庫版として出版したのも、「身体」が帰国する直前だった(四月三〇日)。言わば『卵』は、「身体」が体験し損なった「現實の日本」、しかも特に一九五二年の四月三〇日から五月六日を、「三島由紀夫」が言語的に再構成しようとした試みなのである。
しかし『卵』を「三島」の意図において読むことはどこまで妥当だろうか。「三島」の意図した「学生運動」がメーデー事件を指していたのは前述した通りだが、そもそも事件の発端は一九五一年、その頃「人民広場」と呼ばれた皇居前広場の大衆運動利用を、占領軍が禁じたことにあった。東京地裁はこれを違法と判断、これに対して政府が控訴中の事件だったのである。つまり『卵』によって諷刺される「権力」とは、まさしく占領下の日本政府に他ならないのだった。
しかも『卵』の作者はその「権力」を、五月五日版「朝日新聞」に掲載された卵によって表象してしまった。故に『卵』における卵の意味は、「無個性さ」という文学的文脈のみではなく、「アメリカさんの特需がバッタリ減った関係」で安価に普及・氾濫するようになった商品という文脈をも考慮されねばならない。日本の高度経済成長が、朝鮮特需による成長を背景としたものであることは周知の事実だが、鶏卵産業もまた、駐留軍の需要に応ずることによって飛躍的に拡大したものだった。駐留軍が鶏卵の現地調達を正式に開始したのは、まさに「身体」が旅立った直後、一九五二年一月のことである。これに伴って日本の鶏卵は、品質・包装・規格などを米国式規格に移行させていった。例えば『卵』には「裁判長の顔は、痘痕のある 顔の一段と大きい卵であつた」とあるが、一九五〇年頃までの日本では、鶏卵は赤玉系が優勢だった。それが米国式規格の普及に伴い、米国同様、白玉系優勢に転じていく。白玉系の警官、 顔の裁判長、貧弱な辯護人、大小がある女たちという卵の身体的(?)多様性は、歴史的に言えば米国式規格に移行する直前の、本邦卵事情そのままだった訳である。「朝日新聞」という特定の媒体を離れても、商品性を媒介とした卵とアメリカの連想が成立していたことは、メーデー事件前年に流行した『ミネソタの卵売り』という歌謡曲にも確認することができる。「権力」を卵で表象することは、そこに政治的な意味だけでなく、経済的な側面をも含意させることになる。
しかもこの経済的な「権力」関係の方が、サンフランシスコ条約発効によって一見解消されたかに見える政治的なそれよりも、より基底的な構造を持っていたことは言うまでもない。戦時中ほぼ停止していた日本の養鶏産業は、『卵』直前の一九五一年戦前規模に回復、その後内需拡大に努め、現在ではほぼ完全に近い自給率と「物価の優等生」と言われる安定した低価格を実現した。しかしその反面、ヒナと飼料はほぼ百パーセント、アメリカからの輸入に頼っている。このヒナはハイブリッド種という、二種を掛け合わせた雑種第一代が強勢となることを利用したもので、アメリカのメーカーは両親の系統を秘密にすることにより、世界的にこの産業を独占している。アメリカによって支配されている日本商品、の謂としての卵は、現在においてむしろ鮮明である。
『卵』とアメリカの関係はこれにとどまらない。そもそも「建物は野球場のやうな形をした白堊の新らしい圓形の建築で、野球場とちがふところは天蓋の丸屋根がこれを覆うてゐた。」という一文が、いったい何故書かれてしまったのか。これを「三島由紀夫」や「身体」の方から説明することは難しい。世界初の屋根付き球場が登場するのは一九六四年、ヒューストンのアストロドームである。『卵』初出に十年以上遅れてのことであり、旅行記等で確認する限りでは外遊中の「三島」及び「身体」が、球場に関心を示した形跡は無い。あるいは「白堊の新らしい圓形の建築」に、奇しくもメーデー事件当日の五月一日、ローマで見たコロセウムの反映を認めることができるかもしれないが。もとより野球はアメリカの国技と呼ばれ、移民国家を統合するための物語として機能してきた訳だが、そのような起源について「三島由紀夫」は何の関心も寄せていないし、『卵』の作者にとっても重要なのは「野球場」で、そこで行われる競技には何の言及も無い。
「野球場のやうな」建物に屋根が付いているのは何故か。物語内容ではここは裁判所ということになっているが、内部の「圓形劇場のやうな構造」や「堂に充ちてゐる數千の傍聽人」という造りから判断すると、これは明らかに野球場そのものである。そこに屋根を付けるという行為には、気象条件に左右されないで観客に娯楽を提供しようという発想が見てとれる。つまり『卵』に書き込まれた野球は、競技者と観客が徹底的に分断された見るものとしての野球なのだ。競技者である五人によって表象されるボートに対し、「個性がまるきりない」数千もの観客によって表象される野球。
これは極めて敗戦後的光景である。明治以降敗戦まで、スポーツ発展の場は主に大学であった。ボートにしろ野球にしろ、娯楽というよりは精神修養の一環であり、エリートたちが自ら行なうものだった。日本におけるこのようなスポーツ事情を、劇的に変えたのが敗戦後のプロ野球である。マス・メディア殊にテレビの登場が、スポーツを〈エリートが競い合うもの〉から〈大衆が観戦するもの〉に変えた。セパ両リーグ分裂とナイターが始まった一九五〇年は、この意味でプロ野球元年とも称すべき年である。五一年には第一回オールスター戦が行なわれ、五二年には正力松太郎が日本テレビ放送網設立の構想を発表、プロ野球ナイター中継はその中軸をなした。『卵』初出の二カ月後である一九五三年八月二九日、これは同時に日本テレビ開局二日目でもあったが、プロ野球のテレビ中継初放送として後楽園球場巨人対タイガースのナイターが中継され、スポーツ及び娯楽におけるプロ野球の主導権は決定的なものとなった。こうして見るスポーツの発信地となった後楽園球場に、最初に屋根がついたのは必然だったろう。
野球とテレビを結び付けた正力は、プロ野球国民スポーツ化構想についてはGHQ経済科学局長官マーカット少将の協力を得、テレビによる大衆操作については一九五一年四月に打ち出されたムント構想に示唆を受けていた。カール・ムント上院議員が提起したムント構想とは、テレビネットワークを共産主義に対する最大の武器と位置付けたもので、その試験地域としてドイツと日本があげられていたという。とすれば『卵』における野球の中にも、占領軍アメリカは強く刻印されている訳である。
「名前が行き渡つてゐる割に、案外讀まれてゐない本」ですら、「隅から隅まで引つくり返して」読んでいるような人々からなる、教養認識価値観等を共有する小集団。「三島由紀夫」の芸術は、あるいはそのような古典的教養を志向したかもしれないが、『卵』を成立させた教養は、知ってはいるが読んではいない童話であり、見てはいるが読んではいない新聞記事だった。このような教養の在り方を、現代的ないしは表層的と言うことができるが、『卵』においてはその特徴を二つあげることができる。一つは「ねむりねずみ」や「慶大の五選手」という言葉への反応に表れるような、即物的な忠実さであり、いま一つは一九五二年五月四日から六日の新聞記事を掲載面の違いを無視して任意に書き込むような、文脈の完全な切断である。『卵』のこのような現代性表層性に対して、古典的教養を志向する「三島由紀夫」の内面を見出だすことは極めて困難だが、『卵』の作者のようなものとして「三島由紀夫」を考えることは、ある生産性を有するかもしれない。
「三島由紀夫」の政治的芸術的見解とは別に、『卵』の作者もまた極めて「権力」についての鋭敏な感性を有している。『卵』が諷刺の対象とした「権力」は、政治・経済・娯楽という多面的な構造を持つが、これは新聞記事に対してあくまでも表層的に関わったことの結果であると思われる。メーデー事件に明らかなように、新聞記事とは「権力」が最もあからさまに示される場の一つである。政治・経済・娯楽という文脈の違いにかかわらず、新聞記事として書かれるべきもの、という観念にひそむ「権力」の構造を、『卵』の作者はその徹底した表層性によって明示的なものにし得た訳である。とはいえ新聞記事についての『卵』の批評性は、その段階にとどまる。
物語内容的に言えば『卵』の諷刺する「権力」とは、政治・経済・娯楽という局面にわたってアメリカの影響下にある日本のそれ、と考えられる。このアメリカとは、まず第一義的に暴力装置としてのアメリカを指している。『卵』に書き込まれた限り、政治・経済・娯楽の諸局面におけるアメリカの影響は、アメリカの軍隊及び軍事構想抜きには有り得ないからである。が、同時にアメリカというシステム自体をも指している。それは日本がアメリカのようになっているという意ではない。描かれているのはあくまでも、アメリカというシステムの内部にいながら、それを認識しない卵たちである。経済的局面で検討したように、この寓意は現在においてより鮮明だ。作中、「フライパン」と称されたものが、現実には「BIG EGG」と呼ばれているとなれば、尚更のことである。『卵』の五人はフライパンを引っくり返すことによって卵的世界を粉砕し得たが、『卵』を退屈に感じる程度には、我々は未だ卵的世界を生きていることになる。

註   本文からの引用は、一九五三年六月『増刊 群像』の初出稿によっている。引用文中の「……」は中略を表わしたものである。

1  『卵』が最初に単行本に収録された際のもの。三島由紀夫「あとがき」『ラディゲの死』一九六五・七新潮社。
2  長沢隆子「ポーと三島由紀夫-三島作品『卵』を中心に-」『武蔵野女子大学紀要』一九七六・三。
3  原題は「The Devil in the Belfry」、一八三九。「十三時」は森鴎外による独創的な邦題で、この題をあげることに、あるいは「三島」の鴎外志向を見ることができるかもしれない。
4  長谷川泉、武田勝彦編『三島由紀夫事典』一九七六・一明治書院。
5  三島由紀夫「知性の断末魔」『ポー全集第三巻付録(月報)』一九六三・一二。東京創元社。
6  河野與一「譯者後語」『プルターク英雄傳』一九五六・九岩波文庫。初出は『圖書』一九五二・五岩波書店。
7  木村毅「『虞美人草』の思想的背景」松蔭学術研究叢書『比較文学新視界』一九七五・一〇松蔭女子学院大学学術研究会。
8  原題は「Alice´s Adventures in wonderland」一八六五及び「Through the Looking-Glass,and What Alice Found There」一八七二。一般に二作を総称して「アリス物語」という。
9  自己の身体像や外界の事物の変形体験を主とする症候群。一九五五年イギリスの精神科医トッドによって報告された。
10 今のところ一八九九(M三二)年、長谷川天渓によって『少年世界』に掲載された「鏡世界」が、最古の移入と思われる。
11 島崎博、三島瑤子編『定本三島由紀夫書誌』一九七二・一薔薇十字社。また、山口基『三島由紀夫作品総覧』一九九六・八も絵文庫『ふしぎの国』は掲載していない。
12 楠山正雄訳世界少年少女名作集9『不思議の国』一九二〇(T九)家庭読物刊行会。両アリス物語の完訳。
13 例えば一九五一年には、映画として二作のアリス物語が発表されている。「戦後の最高作」と言われるディズニー版「不思議の国のアリス」、ルイス・バニンによる人形アニメ版「アリス」。伴野孝司、望月信夫『THE ANIMATION FILMS OF THE WORLD」一九八六・六ぱるぷ。
14 galumph(=gallop+triumph)のように、二つの単語を一つに折りたたんだ言葉。キャロルの造語。
15 渡辺直己「視姦の国のアリス」『読者生成論-汎フロイディズム批評序説〈昭和のクリティック〉』一九八九・七思潮社。
16 その先駆はシェーエル『ノンセンスの場』一九五二か。カーク『記号学者ドジソン』一九六二、ピッチャー『ヴィトゲンシュタイン、ノンセンス、およびルイス・キャロル』一九六五、ドルーズ『意味の論理』一九六九など。
17 しかし日本においてこの動向を決定づけたのは『別冊現代詩手帖第二号 ルイス・キャロル』一九九七二・六思潮社。とはいえ『日本児童文学 特集 ルイス・キャロル』一九七七・八「座談会/ルイス・キャロルと児童文学」には、「児童文学」でないアリス物語に対するとまどいが語られる。
18 メーデー事件についての記述はメーデー事件裁判闘争史編集委員会編『メーデー事件裁判闘争史』一九八二・一一白石書店に多くを負っている。
19 梅崎春生「私はみた」『世界』一九五二・七。
20 例えば、日本教具労組を狙って、その助言を受けていた奥山組労組の若者を逮捕し、追及・誘導によって、事実に反する自供がつくられた。自供を強いられた一人である浅沼実は、釈放後しばらくして自殺した。(前掲 『メーデー事件裁判闘争史』)
21 木村毅「ボートレース全盛時代」『日本スポーツ文化史』一九七八・八。
22 前掲2論文。
23 作詞・佐伯孝夫、作曲・利根一郎、歌・暁テル子で一九五一・一に発表された。
24 鶏卵産業についての記述は、井土貴司『タマゴ屋さんが書いたタマゴの本』一九九〇・三、三水社に多くを負っている。
25 野球とスタジアムについては『ベースボール・シティ スタジアムに見る日米比較文化』一九九〇・二福武書店等を参照した。
26 亀山佳明「スタジアムの詩学-プロ野球を中心として-」亀山佳明編『スポーツの社会学』一九九〇・一一世界思想社。
27 株式会社後楽園スタヂアム社史編纂委員会『後楽園スタヂアム50年史』一九九〇・四株式会社後楽園スタヂアム
28 監修石川弘正ら『日本風俗じてんアメリカンカルチャー ´45-50´s』一九八一・一二三省堂。